ロールケージも入ってるんだ

冬支度を始めた周囲の木々とは裏腹に、汗ばむほどの好天に恵まれた11月5日。予定より少し早い午後3時前、ドライバーは濃紺のクラウンアスリートに乗ってやってきた。県道沿いの駐車場に停まると、関係者らに一瞬、緊張が走る。ドライバーは運転席から降りて周囲にあいさつを交わし、待っていたクルマに近寄った。
ドライバーの名は、「モリゾウ」ことトヨタ自動車社長の豊田章男(60)。待っていたクルマは、発売を間近に控えた新型コンパクトクロスオーバー「C-HR」だった。C-HRは、翌日に新城ラリーの会場で豊田がステアリングを握ってデモ走行する予定で、豊田本人のチェック走行を待っていたのだ。
「ロールケージも入ってるんだ」。ラリー仕様に改造されたC-HRの運転席ドアを開けた豊田の目が一瞬、真新しいものを見る少年の目のように輝いた。豊田は、開発を担当したMS製品企画ZE主査、古場博之(54)から一通り説明を受けると、慣れた身のこなしでロールケージをまたぎ、スポーツシートに身を収めた。

ブレーキ、(フィーリングが)いいね

豊田がC-HRを運転するのはこれが3回目だ。ただ、過去2回はいずれもテストコースで、一般道での試乗はこの日が初めてだ。助手席に古場を乗せ、ゆっくりと走り出す。駐車場の出口で軽くブレーキを踏むと「ブレーキ、(フィーリングが)いいね」と、やや緊張気味の古場に語りかけた。
向かったのは、標高700メートルの山頂へと続く約8キロの県道。カーブが連続する、テストにはうってつけのコースだ。緩い上りカーブで、豊田は徐々に加速しながら中央線に沿うようにステアリングを切り込む。リニアに反応するハンドリングを確かめると、「動きがFR(後輪駆動)的なFF(前輪駆動)だね」とコメントした。豊田は過去にも「操舵一発でクルマの動きを合わせられる」とC-HRのハンドリングを褒めていたが、一般道においても満足げな表情を浮かべた。

30分ほどが経過しただろうか。豊田と古場が乗るC-HRが、スタッフが待つ駐車場に戻ってきた。クルマから降りると、豊田はドライバーとしての真剣な表情からいつもの笑顔に戻る。スタッフが山頂で買ってきた地元名物「五平餅」を配ると、おいしそうにほおばった。そんな豊田の姿を見ていた古場をはじめ周囲のスタッフの間にも、いつしか笑みがこぼれていた。
テスト走行を終えた豊田は、新城総合公園へと向かった。初日の走行を終えてサービスパークへと戻ってくる全日本ラリーの選手らをねぎらうためだ。
公園内は夕刻にも関わらず多くの人でにぎわっていた。「モリゾウさん、明日頑張ってね!」。豊田が会場内を歩くと、子供にも声をかけられる。いつものように、レーシングスーツ姿の豊田をイラストにした「モリゾウステッカー」を配ったり、記念撮影をするなどして子供たちとふれ合った。
会場では、ほとんどの人が豊田を社長としてではなく、ドライバーのモリゾウとして接する。サインを求められる時も、「豊田章男」ではなく「MORIZO」だ。「モリゾウには、クルマ文化を広める伝道師としての役割があるのかもしれないな」。自動車大国と言われる日本にクルマを楽しむ文化を育てたいと思っている豊田は、会場の子供たちと接してそんな想いを巡らせた。

新城ラリー2日目も、朝から快晴だった。この時期は「雨の新城」と言われるほど雨天に見舞われることが多いが、今年は昨年に続いて2日間とも好天に恵まれ、来場者数も過去最高だった昨年の約5万2000人を超すことが予想されていた。
豊田はこの日、全日本ラリーと併催されたTOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジに出場するため、夜明けを待たずに86(ハチロク)ラリーカーで会場へと向かった。C-HRのお披露目は、すべてのラリー競技が終了した午後3時半過ぎの予定だ。
午後2時ごろまでに4つのSS(スペシャル・ステージ=競技区間)を走行し、豊田にとっても今年の最終戦となったTGRラリーチャレンジ新城を無事、完走する。すぐに身支度を整え、向かったのは報道番組のインタビュー取材だった。
トヨタが2017年から世界ラリー選手権(WRC)に参戦することを控え、インタビューは86を4輪駆動に改造したラリーカー「86×(クロス)」を背に行われた。WRCのこと、新城ラリーのこと、自動運転車のことなどインタビュー内容は多岐に及び、終了したのはデモ走行が始まるわずか30分前だった。
豊田は休む間もなくスタッフからデモ走行の説明を受ける。走行は当初、C-HRのみで行う予定だったが、キャスターをラリーカーに乗せてあげたいとの豊田自身の思いから、急きょ86クロスでも走ることが決まった。
デモ走行は予定通り、午後3時半に始まった。キャスターを隣に乗せた豊田は、86クロスのブレーキとタイヤを温めながらまずゆっくりと1周目を走ると、2周目、3周目はややスピードを上げ、ラリーカーの迫力を見せつけた。

次はいよいよC-HRの出番だ。走行するC-HRを一般向けに披露するのは世界初となる。新城ラリーの最後を締めくくるデモ走行とあって、会場は多くの人で埋め尽くされていた。
3周の走行は、あっという間に終了した。走行後、司会者にC-HRの紹介を求められた豊田は、スタイリングだけでなく、独・ニュルブルクリンク24時間レースで鍛え上げて走りにもこだわったこと、背の高いクルマであっても「FUN TO DRIVE」の精神を注ぎ込んだことなどをアピール。来場者や関係者に「ありがとうございました」と感謝し、あいさつを締めくくった。
「気を緩めず、しっかりな」。走行を終えた豊田は、発売を間近に控えて忙しい日々を送る古場を激励し、がっちりと握手を交わした。古場は満足げな表情で「(新城ラリーは)C-HRにとって事実上の新車発表会のようだった。他の車種にとってもC-HRが見本となれるよう、今後も新たなことにチャレンジしていきたい」と決意を新たにした。