日本においてグランピングという言葉が広く知られるようになったのは、ここ10年足らずのことだと記憶している。自然の中で、上質な時間を過ごすこと。やがて自然と一体になるような没入感、胸の奥から湧き上がる感動。ある日ヴェルファイアに乗って、千葉にあるグランピング施設を訪れた。都心から自然の中へと道を拓くように駆け抜けるヴェルファイアの中、研ぎ澄まされた私の感覚はそこで竹林の小さなざわめきと動物の躍動を捉えた。想像を越えた体験は、私に新たな視点をもたらした。その発見は小さいが、これからの人生すべてに関わる。そんな予感がした。
みずみずしい木々に包まれる夏は、自然に触れたくなる季節だ。車を走らせ少し足を伸ばすと、青々とした緑が目に優しい。
この緑にもっと包まれたい。そんな思いを抱いた私は、ずっと気になっていたグランピング施設を予約し、予定日を待った。千葉県市原市にある、動物園に隣接したグランピング施設だ。
都心から房総半島への道は、海の上に架かる橋を渡る。何度も通った道だが、改めて考えると、とんでもない偉業だ。視界には車の状態を伝える視認性の高いディスプレイと、行く先に伸びる巨大な橋、そして左右には大海原。テクノロジーと自然のコントラストが、いっそうこの眺めの特別感を強調した。
東京湾アクアラインの偉大さに思いを馳せているうちに、車は千葉県に入った。視界に緑が増え始め、やがて山景色に変わる。都心から1時間少々でこれほど風景が変化するとは。感慨を覚えた私は高速道路を降り、少し遠回りをしてヴェルファイアを走らせる。自然の中での気持ちの良いドライブを楽しんでから、目的地へと向かった。
『The Bamboo Forest』はその名の通り、竹林に囲まれた清々しい場所だった。
チェックイン時間ぴったりに到着した私は、本日の宿泊者の一番乗りだ。スタッフに先導されて、まだ誰もいない場内を進む。
案内されたのは、どっしりとしたドーム型のテントだった。扉を開いて室内に入り、息を呑む。テントの向こう正面は、竹林の景色を切り取る大きな窓になっていた。テント内にいながら、まるで森林浴をしているような心地よさに包まれる。
ゆったりとした室内にベッドが4台、アジアンリゾートを思わせるテーブルとチェア、天井にはシャンデリア。ラグジュアリーな空間と窓外の景色が、不思議な開放感を生み出していた。
ここではテントの設営も食事の準備も必要ない。
私はテントの前のデッキに置かれたチェアに座り、何もしない時間を過ごす。
頭上の竹が風に揺れ、ざわざわと鳴った。野鳥のさえずりが聞こえる。蛙の声や虫の声も。地球はこれほどさまざまな音に満ちていたのか。ここではテレビも電話も音楽も必要ない。都会にいると気づかない自然の声に、ただ耳を澄ませる。それは何よりの贅沢だと思った。
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日が傾き始めると、肌に触れる空気が少し冷たく感じられた。自然に包まれたこの数時間で、感覚が研ぎ澄まされたのかもしれない。空気の流れ、竹林を抜けてくる夕暮れの光。自然の中の小さな変化が、ことさらに美しく感じられる。
夕食はバーベキューコースだ。
薪ストーブに火が入り、手際よく食事の準備が進む。スタッフが丁寧に、食事の説明をしてくれた。前菜、スープ、サラダ、魚料理、ステーキ、ソーセージのグリル、アヒージョ。ロースターで焼きながら味わうバーベキュー主体のコースだが、野趣よりも洗練された上質感が勝っていた。専門店にも遜色ない本格的な味だ。そして何より、料理の繊細な味わいを舌先が敏感に察知する感覚があった。
もちろん、食材の質や鮮度もあるだろう。だがこの自然豊かな環境の効果も小さくないはずだ。焼いた野菜の甘み、パンの小麦の香り、肉の脂の旨み、香辛料の複雑な味の重なり。そのひとつひとつが、信号として脳に届く。
この日、私が感じた「おいしい」という感動を紐解くと、そんな理由に行き着くのだ。
「ここには決まった過ごし方があるわけではありません。何もしないことだって、素敵な時間ですよね」
にこやかにそう声をかけてくれたスタッフは、北野舞さん。話を伺ってみると、まるで自分の宝物を見せてくれる子供のようにこの場所の魅力を伝えてくれた。
「静かで、空気が澄んで、他にないような穏やかな場所。時々、動物の鳴き声も聞こえます。夜は真っ暗で、星が本当にきれいなんですよ」
うれしそうに語る姿に、こちらまでつられて笑顔になった。私は心地よい満腹感を感じながら、静かに更けていく夜に浸った。
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『The Bamboo Forest』には、隣接する動物園『ANIMAL WONDER REZOURT サユリワールド』のキリンの住むテラスの側で、キリンとともに朝食を楽しむオプションプランがある。専用の餌も付き、本当にキリンと一緒に食事ができるのだ。近年の人気で全国にグランピング施設が増えているが、これは唯一無二の体験だろう。
朝の無人の動物園を歩き、キリン舎の脇に作られたテラス席に向かう。目覚めの気配、朝の空気、体にエネルギーが満ちていくような心地よい時間。テラスに到着し、席に座る。ちょうど目線の高さにキリンの顔があった。
首が長く、黄色い体に茶色の模様がある。キリンは子供だって知っている。だが、この距離、この角度からキリンを見たことがある人が、どれだけいるだろうか? キリンのまつ毛がこれほど長いことを、こう口を動かして食事をすることを、どれだけの人が知っているだろうか?
それはいわば人生訓だ。
自分では知っていると思い込んでいることでも、少し角度や焦点を変えてみれば、発見はいくらでも潜んでいる。『The Bamboo Forest』を包む自然だってそうだ。竹林が風に揺れるとこれほど賑やかなこと、動物の唸り声が風に乗って遠くまで届くこと、夕日を受けた笹の葉がオレンジ色に輝くこと、千葉県で満点の夜空が見られること。ここで得た多くの発見が胸に迫る。
この2日間の滞在で私は、言葉にできる何かをしたわけではない。むしろ、何もしていない時間の方が長かっただろう。しかしそこには確かな充足感があった。
ただ自然に触れたからではない。都心からの移動で人工物と自然の対比を見つめ、その両方の恩恵を改めて感じたからだ。そして整備と管理が行き届いた心地よい施設で、自然に目を向ける余裕が生まれたからだ。
帰り道は、来た道を逆にたどる。木々に囲まれた景色は、少しずつ人の手による建造物に変わる。非日常から日常の中に戻っていくような気分。だが自然の中で少しだけ研ぎ澄まされた感覚は、この先も大切に育てていきたいと思う。
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『ANIMAL WONDER REZOURT サユリワールド』キリンテラスにて
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『ANIMAL WONDER REZOURT サユリワールド』キリンテラスにて
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『ANIMAL WONDER REZOURT サユリワールド』キリンテラスにて
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『ANIMAL WONDER REZOURT サユリワールド』キリンテラスにて