都内からドライブすること約2時間弱。どこかリゾート地を思わせる海辺を抜け、熱海市内へ。湘南などのビーチタウンとは少し趣きの違う、どこか懐かしい雰囲気を味わいながら、車を走らせる。
「熱海」という名称の街だが、少し中心地を離れればすぐに山道だ。海、街、山、とコロコロ変わる景色を楽しみながら、人気観光スポットLAND ART PARK「ACAO FOREST」へと続く坂道を登っていくと、東京と熱海を行き来しながら「PROJECT ATAMI」を手がける伊藤さんがいる「NOT A GALLERY」がある。
ギャラリー庭からの眺めは素晴らしく、雲ひとつない空と水平線に心を奪われる。そんな眺望を持つ場所に、訪れる人誰もがリラックスしてしまう空間が用意されていた。
アートに携わり20年。
伊藤さんが熱海に魅せられたのきっかけは?
伊藤
学生時代から、どういう役割でアートに携わる仕事ができるか考えていたのですが、とあるきっかけで出会った編集者・プロデューサーの方に『大学でアートプロデュースを学べる学科の立ち上げの手伝いをしてほしい』と声をかけていただき、学科の立ち上げを皮切りにアートに関するあれこれを学びながら実際に経験することができました。
そこから2010年に自分の会社『ISLAND』を立ち上げ、ギャラリーの経営やアートの展示、販売、外部企画のコーディネートなど、アートにまつわる本当に様々なお仕事をしてきたのですが、その中で、中野善壽(なかのよしひさ)さんと知り合ったんですよね。
中野さんは過去に『寺田倉庫』でCEOをしていらっしゃいました。これまでに、東京・天王洲の倉庫街や京浜島をアートで再注目させることに成功されていて、人々が目を向けていないような場所や物事にアートを通して価値を持たせたり付加価値をつける名プロデューサー。その中野さんが『次は熱海だ!』ということで、熱海にきたのがこのプロジェクトの発端になります。
社会へ出る前、右も左も分からないときからアートへの並々ならぬ情熱と愛情を持ち、その後数多くのプロジェクトに携わって経験値を広げた伊藤さんは、熱海の魅力や可能性を感じたという。
伊藤
コロナ禍でもあったので、一過性のものではなく、地に足つけたプロジェクトがいいなと思いました。そこで実際にアーティストの方々に熱海に住んでもらうことにしました。熱海に昔から住む地元の人々にとっては、海も山も観光名所も見慣れて、当たり前の景色になっている。でも外部から来た人が何か、新しい視点を持ち込んでくれないかと考えたんです。そこで滞在制作型プロジェクト『ACAO ART RESIDENCE』をスタートしました。アーティストが実際に熱海に住み、自分の目で見て、呼吸する中で感じたものを作品として表現してもらう。地元の人々にとっても街自体の魅力の再発見にしてもらうのが狙いでした。
そのお披露目の機会として『ATAMI ART GRANT』を秋に開催することにしたのですが、それが第1回目である2021年の話です。
古き温泉街だった熱海を変えた
「ATAMI ART GRANT」
運 営側としては初めての開催で、どこまでの人が来てくれるのか手探りだったが、途中からSNSなどで話題に。多いときで1日1000人にも及ぶ来場者を記録し運営はパンク状態だったという。続けて2回目となった昨年は、熱海市内各所に展開された作品を見て回れるツアーを企画。デジタルデータによるNFTを点在させ、設置箇所をめぐるデジタルスタンプラリーも実施し、“過去に流行った温泉地”の熱海という印象をアートでアップデートすることに成功した。
伊藤 熱海という街のポテンシャルを再確認しました。3回目となった今年は、今まで以上に熱海の“繁華街”で作品に出会えることに力を注ぎました。熱海には源泉が湧き出る場所があるんですが、昔はその“源泉をめぐる”人々で賑わっていたんですよ。それと同様に街中に点在する作品を見ながらめぐってもらうことで、シャッター街だった街がもう一度賑わうための試みです。
一時期は閑散としていた熱海銀座も現在では、老舗の喫茶店や蕎麦屋さん、海産物店の間に美味しいだけではない、見た目にも可愛いスイーツ店がちらほら。誰もが思い描く古き良き熱海の街並みと、ポップでキャッチーな要素が混ざり合い、賑わいを見せている。
伊藤
熱海は海と山が近くて、原生林の森がそのまま残っている。その間を自然と風が通り抜けていく、人の手が入りすぎていないところにすごく可能性があるなと思います。一度は温泉観光地として賑わい、当時の様相がそのまま残っているところも面白いです。
自然が豊かで面白い場所に少し前から注目が集まり、地域密着型で再生に取り組む人々がいた。同時にタイミングよく私たちがやってきて、コロナ禍でさまざまなイベントなどが下火になっていた時に、アートを介して人が集まる場所にしていくことができましたが、それは熱海の場所がもつポテンシャルを考えると、いろいろなタイミングがちょうど良くて、ある意味、必然だったようにも思います。
市街地から山中、海辺まで。
あちこちに点在するアートたち
ア ートフェスティバル「ATAMI ART GRANT 2023 巡 ―Voyage」では、今回54組のアーティストが参加。熱海銀座などの市街地から海沿いのエリア、ATAMI ART VILLAGEに「ACAO FOREST」まで、さまざまなシチュエーション、規模で作品が展開された。その一部を伊藤さんのコメントとともに紹介しよう。
伊藤 『ACAO FOREST』で展開されている中村岳さんは、青空をキャンバスに見立てて描かれたカラフルな絵を表現しています。絵画というと平面的に見るものと思いますが、観覧者が内側に入って3Dで体感できる作品であり、『ACAO FOREST』の自然も楽しめる作品です。
伊藤 まるで蜘蛛の巣のように見える作品は、ドローンで糸を飛ばしながら位置を決めて作られたものになります。作家自らこの場所を選び、『ACAO FOREST』の自然にフォーカスしながら作られたダイナミックな作品で、着眼点や解釈、表現が面白いです。
伊藤 原田さんの作品が展示されているビルは、1950年代に熱海大火といわれる大火事があった渚地区のエリアにあります。映像の中には今年の8月に山火事になって壊滅的な被害がもたらされたマウイ島・ラハイナを描いたCGアニメーションが流れています。過去と現在の出来事に思いを馳せながら、美しい夕日や風の音に耳を傾けていると、熱海の街にいることを忘れてしまいます。
伊藤 湯巡りARスタンプラリーの中でも、かなり山を登ったところにある作品です。スマホで専用のアプリを起動させて指示された方向へカメラを向けるとARによって映像作品が浮かび上がる面白い仕組み。熱海にはその昔、海中に熱湯が湧き出して、魚たちが煮上がってしまい生息できない環境だったという言い伝えがあります。そこにたまたま立ち寄った名高い僧侶・万巻が祈祷したことで熱湯が地中から山へ移り、それが熱海の温泉になったと。そんなエピソードと合わせてARの面白さにも触れてもらえますね。
伊藤 熱海銀座のアーケード内にある自動販売機のような作品もユニークです。副産物産店は、元々アーティストのアトリエから出る廃材を回収して、循環させるプロジェクトですが、今回は熱海を舞台に、回収したものを自動販売機で販売しています。作家が見て面白いと思ったものが買えるようになっているんですが、お土産ってどうしても画一的なものになりがちですよね。でも彼らがそこにストーリーをつけて見せてくれることで、自分だけの特別なお土産を手に入れた気分になれます。
実際に伊藤さんにおすすめしてもらった作品を巡ると、市街地から海、山と熱海中を駆け巡ることになった。アート作品を巡っているつもりが、気づけば熱海の自然や文化を体感していることに気づく。これこそが、熱海を訪れる人たちに、伊藤さんたちがしてほしいことなのだろう。
熱海の街に、 優しく馴染む プリウス
自然が豊かでポテンシャルが高いという熱海だが、地形のほとんどが火山活動によって形成されているため、坂が多いことも特徴的。そんな場所を往来するのに必要不可欠なのが自動車だ。普段から車に乗っているという伊藤さんには今回、デザイン性と走りの性能を強化したプリウスを試してもらった。
「熱海は本当に坂が多いので、バスなどもあるんですが、あれこれ作品を廻られる方には、レンタカーも便利ですとお勧めしています。期間中、熱海中を走り回る私たちにとっても、車は移動手段として欠かせません。
今回、プリウスには初めて乗ったのですが、エコカーというイメージを超える快適な走りに驚きました。滑らかでストレスフリーな走行は、まるで水中を進んでいるような感覚になりましたし、座り心地も快適。都内からここまで、およそ100kmの距離を運転するには、自然に負荷をかけない方が絶対いい。そういう意味でもエコカーは現代の価値観として必要ですし、長時間の運転も苦にならないと思います。」
「またデザインの美しさも目を引きました。極力線を取り払い、面を生かしたデザインの中に、さりげなくあしらわれた直線が効いている。重心が低く、柔らかい曲線はイルカなどの海洋生物のような優しい風貌ですね。」
「鉄の塊でありながら、熱海という自然豊かな場所にも溶け込む佇まい。そんな印象を受けました。東京方面からドライブで来るのなら、箱根と熱海の中間にある十国峠に寄るコースもおすすめしたいですね。天気が良ければ富士山が見られるかもしれません。」
都内から車で2時間ほどの距離にあり、ドライブがてら出かけると温泉や海の幸、雄大な自然が楽しめる地方都市。街のあちこちでアートが融合し、もはや流行り廃りに左右されない唯一無二の街を訪ねる旅は、感情をゆさぶられるものだった。