
クラウンとコロナの中間に位置するコロナシリーズの新型車として発売。「コロナから生まれた理想のコロナ」というキャッチフレーズで、コロナよりひとまわり大きなボディに1.6Lと1.9Lのエンジンを搭載し、4ドアセダンと2ドアハードトップ、ステーションワゴンのほか、バンやピックアップといった豊富なバリエーションを誇った。1968年12月には月間登録2万台のベストセラーカーとなり、日本で初めてミリオンセラーを成し遂げたモデルである。
初代マークⅡのカタログ
高速道路の整備や高層ビルの建設が急速に進む高度経済成長を背景に、にわかに人々の生活が豊かになっていった当時、その豊かさの一端を担ったのが
初代コロナマークⅡであった。クルマと言えばセダンだった時代。年功序列や終身雇用が当たり前の世の中で、年齢を重ねるごとに、出世をするたびに人々はクルマを乗り換えていった。「コロナから乗り換えたいけど、クラウンにはまだ早いかな。でもクラウンとはいかないまでも、コロナよりは上級なクルマに乗りたい」そんな社会的ニーズに応えるカタチで誕生したのがこのクルマ。36年、9代にわたりロングセラーとなった高級車の歴史がここから始まった。

精悍なフロントマスクに、長いボンネット、
流麗なルーフ、切れ上がったウインドゥラインで構成された、しなやかな曲面が躍動するようなスタイルが特徴である。4気筒エンジン搭載車に加え、直列6気筒2.0Lエンジンの最上級グレードであるLシリーズが登場した。
精悍なフロントマスクに、長いボンネット、
流麗なルーフ、切れ上がったウインドゥラインで構成された、しなやかな曲面が躍動するようなスタイルが特徴である。4気筒エンジン搭載車に加え、直列6気筒2.0Lエンジンの最上級グレードであるLシリーズが登場した。
フロントマスクが4灯式から2灯式に変わり、
丸型ヘッドライトと独立したフロントグリルという、セミクラシック調デザインを特徴とした。全面ファブリックシートやオートエアコン、ランバーサポートなどの快適装備を搭載。最上級グレードである「グランデ」が新たに設定された。

フロントマスクが4灯式から2灯式に変わり、
丸型ヘッドライトと独立したフロントグリルという、セミクラシック調デザインを特徴とした。全面ファブリックシートやオートエアコン、ランバーサポートなどの快適装備を搭載。最上級グレードである「グランデ」が新たに設定された。

高級セダンの幕開けを告げる一台。姉妹車であるチェイサー、
クレスタと合わせて売れ行きも好調であった。上級グレードには直列6気筒2.8Lエンジンを搭載。
メーターなどの視認系は上部に、操作系は下部に配置し、より運転しやすいレイアウトとした。
4代目マークⅡのカタログ
高級セダンの幕開けを告げる一台。姉妹車であるチェイサー、
クレスタと合わせて売れ行きも好調であった。上級グレードには直列6気筒2.8Lエンジンを搭載。
メーターなどの視認系は上部に、操作系は下部に配置し、より運転しやすいレイアウトとした。
4代目マークⅡのカタログ

車名から「コロナ」を外した5代目「マークⅡ」は、先代で火がついたハイソカー(高級車)ブームを牽引。好景気の影響もあり、若年層から中高年層と幅広いユーザーに愛され、85年1〜8月の平均月販台数は1万2,000台に到達した。大型ヘッドランプとワイドグリルのフロントマスクが特徴の4ドアハードトップは、5ナンバーサイズにもかかわらず、3ナンバーの存在感を発揮し、高い人気を博した。グランデの内装であるスーパーラグジュアリーシートはその名の通り、「高級車に乗っている」という実感を味わわせてくれる贅沢な座り心地を実現。安全面と快適性を高めるために、当時の先進技術を搭載した装備も好評であった。

6代目マークⅡのカタログ
バブル全盛の時代に登場。それまでずっと首位を走ってきた
カローラを追い抜き、90年の年間販売台数で第一位を獲得し、歴代モデル初の快挙を達成した。
さらなる高級化を進めるため、新設計のサスペンションや
パワーユニットのツインカム化により、乗り心地と静粛性をアップ。ユーザーの多様化に応えるよう、スポーティグレードにも力を入れた。
さらなる高級化を進めるため、新設計のサスペンションや
パワーユニットのツインカム化により、乗り心地と静粛性をアップ。ユーザーの多様化に応えるよう、スポーティグレードにも力を入れた。

4ドアハードトップのみをモデルチェンジし、3ナンバーサイズに。グレードはスポーティなツアラー系とラグジュアリーなグランデ系の2ラインで展開。足回りや操縦性のチューニングを棲み分けることで、ユーザーの幅広いニーズに対応した。当時の最新テクノロジーである4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションや4輪ABSなどを盛り込み、質の高い走りを追求した。
7代目マークⅡのカタログ

マークⅡ 2.5ツアラーV
ツアラーVは、高級車である前に
走りを極めた一台だった。
2.5Lツインカム24ツインターボは、圧倒的な動力性能を誇った。4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、
前後輪異サイズのタイヤに加え、ツアラーSに対しABSやTRCを標準装備。MT車にはトルセン式のLSDを搭載し、よりスポーティな走りを求めるユーザーに支持され、「FR=走り」のイメージを確固たるものにした。

先代で確立した機構面を継承し、4ドアハードトップにツアラー系とグランデ系を設定した。2.5Lと3.0Lのユニットには、連続バルブタイミング機構であるVVT-iを搭載し低燃費に貢献。さらにツアラーVは電子スロットルの搭載とターボのチューニングにより、俊敏なレスポンスとトルクの向上を実現した。
ABSやデュアルSRSエアバッグ&SRSサイドエアバッグを全車に装着し、3.0L車にはVSCを標準装備するなど高い安全性を誇った。

「マークⅡ」としての最終モデルである。グレードは、
グランデに統一され、スポーツ系としてiRシリーズを設定した。実用性を重視するユーザーが増加したため、
居住性のよい4ドアセダンに。11代目クラウン(1999年9月発売)のプラットフォームを共用し、エンジンはいずれも直列6気筒DOHC・VVT-iを採用。とりわけ走行性能と静粛性は評価が高く、
最後までドライバーズカーであり続けた。

3連ヘッドランプが印象的なフロントマスク。
排気管の出口をリヤバンパーに組み込み、ボディに一体化させたトヨタ初のデザインと低い全高も相まってダイナミックでスポーティなスタイルに。エンジンはV6、排気量は2.5Lと3.0Lの2種をラインアップ。プラットフォームは12代目クラウン(2003年12月発売)用を改良し、軽量化を図ることで運動性能を向上させた。夜間にステアリングを切った方向にロービームを照射するシステムや、リヤのトランクスルー機能、前席フルフラット機能など、高級セダンとして快適装備の充実も図った。
初代マークXのカタログ
ミニバン、SUV、そしてハイブリッドカー。多種多様な選択肢の中から、個人の趣味嗜好や家族構成に合わせてクルマを自由に選べるようになった。ITが発達し、起業家も増えつづけ、年功序列や終身雇用も過去のものになりつつあった。セダン市場も縮小しはじめていた時代に、
マークⅡの後継車としてデビューしたのがマークXである。トヨタのFRスポーティセダンとして、運動性能を磨き上げるとともに、安全性や快適性で世の中のニーズに応えながら、先進装備も充実させた。「クルマで走るのが好き」な大人たちに、もっと走りを楽しんでもらうために。

初代からの開発思想であるスポーティさと上質さをさらに熟成。前輪のホイールアーチを強調するキャラクターラインにより、アグレッシブさを高めた。先代の走行性能を磨き上げるとともに、上質な乗り味を徹底追求。
7個のエアバッグ、VSC&TRC、後方から衝突された際に頸部の衝撃を軽減するアクティブヘッドレストを全車に標準装備するなど、安全性をも高めたスポーティセダンに仕上げた。
日本人にとってより身近な存在にし、
51年の長きに渡り、市場を牽引してきた
マークⅡとその後継車であるマークX。
いかにして「走りの楽しさ」を追求し、
創造してきたのか。
マークⅡの開発に携わり、
2代目マークXのチーフエンジニアを務めた
友原孝之氏が当時を振り返る。
マークXそのものだった。
入社して40年弱で、振り返って数えてみるとマークⅡとマークXに関わったのが約20年になります。トヨタにはそんな人いないです(笑)。最初に担当したのが、5代目マークⅡのATのシフトレバー。入社してすぐにシャシー設計に配属になったときです。シャシー設計の花形ってサスペンション設計なんですけど、サスペンションを担当する先輩の下につけたのはラッキーでしたね。丁度ハイソカーブームで、マークⅡを手がけられるのは嬉しかったのを覚えています。それから7代目のときはリヤサスペンションを担当しました。そこで当時のチーフエンジニア付が、ものすごく熱い方で(笑)。その方の企画でスポーツセダンをつくろうと。競合他車が軽量化し、運動性能を高めていたので、7代目では6代目のシャシーを流用する予定だったんですけど、結局は形状もすべて変えて新設にして、
サスペンションの組み付けでは、使用するボルトのサイズをワンサイズ小さなものにしたりしました。グレードによっては100kg以上の軽量化を図りましたね。そして、9代目ではチーフエンジニア付の主担当として参画することに。当時を振り返ると…苦労しました(笑)。一番印象に残っているのは、マークⅡはFR系のクルマの、トヨタの中で言うとエントリーモデルなんです。そのときは構成部品をクラウンなどと共通化を図っていたので、原価的にすごく厳しかった。マークⅡのDNAはバリューをいかに出すかですから。でも、企画というものがどういうものかというのを勉強させてもらったので、2代目マークXの開発のときには随分役立ちましたね。
思いを寄せて。
2代目マークXのチーフエンジニアとなって、開発メンバーと共有したのは、2つでした。1つは「疲れのない上質な乗り味」、もう1つは「ステアリングを切り始めたときの最初のフィーリング」です。そのために、アブソーバーやバネ、スタビライザーのセッティングをトライ&エラーを繰り返しながら、
プロのドライバーとともに取り組みました。さらに車速に応じてギヤ比を変更し、前輪の切れ角を最適に制御するステアリングをスポーツタイプの上級グレードに搭載するなど、いろいろ工夫しました。
言われたのが嬉しかったですね。
走りの味には、トヨタの中でも方向性があって、それを守っていくとトヨタっぽいクルマになっちゃうんです。本当にねらうべきは、お客さまがどういう方向を求めているのかということ。そういった意味では、9代目のマークⅡに参画させてもらって、初代のマークXでは、企画の初期段階には関わっていましたので、マークⅡやマークXに求められるお客さまの特性みたいなものが、2代目マークXを開発するにあたり、ある程度わかっていたのは大きかったですね。それと初代マークXもお客さまからは好評だったので、そのクルマでいろいろなところを走って確認できたというのがやりやすかったポイントです。真にお客さまが求める方向性で開発をすすめていると、設計担当や評価部署に「トヨタはこっちの方向に行かないといけないんじゃないの」とよく言われましたね。でも、よくよくその特性を聞いてみると、私がすすめようとしている方向性に近かったので、逆だって言いながらすすめましたね(笑)。記者発表前に、取材でクルマに乗っていただく機会があるんですが、クルマを並走しながら撮影していただいたときに「このクルマは、あまり上下左右に動かないですね」や「撮影がすごくしやすかったです」と言っていただけたこと、また発表後にジャーナリストの方たちに乗っていただいて「トヨタとは違う」と言っていただけたことは、たいへん嬉しかったですね。長距離を乗って、降りて、楽しかったなっていう、余韻ってあるじゃないですか。そういうのが残るクルマがいいなと。マークXではその想いがカタチにできたのではないかと思います。
「感謝」の言葉しかありません。
私が代表して言うのも、いいのかなっていう思いがありますが、長い間ご愛顧いただいて本当に感謝ですね。走りが好きなお客さまが、とてもありがたいお言葉をかけてくださいますし、いまでもたまにネットを拝見すると、そういった声もありますので、たいへん嬉しく思いますね。「感謝」という一言に尽きます。実はいま現在、私自身がマークXのオーナーなのですが、自分で言うのもなんですが乗っていると、「やっぱりいいクルマだな」って思います。ちなみにグレードはプレミアムです。いろいろ開発してもらった装備や、いっしょに苦心してつくった部品がたくさん付いているほうが、いつも身近に感じられていいかなと思ったので。

友原孝之
1959年山口県生まれ。子どもの頃からクルマ好き。1982年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。第一技術部でシャシー設計などを経て、1998年に製品企画セクションに異動。
マークⅡブリットや北米専用のヴェンザを担当後、2代目マークXのチーフエンジニアを担当。現在はMS製品原価企画部 主査。
すごく嬉しい気持ちになります」
特別仕様車250G“Sパッケージ・Yellow Label” ※現在は販売を終了しております。
2代目マークXの特別仕様車で新たに設定された、
鮮烈なアウェイクンイエローは、初代マークⅡのボディカラーに採用されていたイエロートパーズに影響を受け、友原氏が自ら企画。よりスポーティな印象で若々しさを演出するとともに、カラーバリエーションの幅に広がりをもたせた。
トヨタ東京カローラ・ネッツトヨタ東京は
販売店統合に伴い、
「トヨタモビリティ東京」となりました。
全車種取り扱いがございます。
また、トヨタ西東京カローラ・ネッツトヨタ東都・
ネッツトヨタ多摩も
同様に全車種取り扱いがございます。