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はじまりに

2014年12月15日。
トヨタは世界で初めて、
水素で動く燃料電池自動車MIRAIの
一般発売をスタートしました。
環境問題や資源の枯渇など、人類の課題を解決する
夢のエネルギーと言われてきた水素。
何十年もかけて普及のための開発に取り組んできた
トヨタにとって、とても誇らしく、嬉しかった日です。
しかし、限られた販売台数でお客様をお待たせしている中、
生産体制もまだまだ充実させなければいけません。
そして、水素社会としての基盤を整え、
理想的に循環させるためには、
今まで以上に社会全体の協力が不可欠になってきます。
この夢はトヨタだけで叶えられるものではなく、
みんなの願いがひとつになって初めて、実現できるもの。
そう決意を新たにしたわたしたちは、
水素社会の意義について語り合い、
考えを深め、そして広めるための場を
つくることにしました。

そしてここではもうひとつ、
伝えたい大切なことがあります。
それは、希望というチカラについてです。
たとえ先が見えなくても、
前に踏み出したいと思った、あの熱い気持ち。
長年の開発を支えてきた、あの熱い気持ち。
そう、未来への希望を持ち続けたからこそ、
わたしたちは前に進み、新しい可能性を手に入れました。
希望こそが、エネルギーなのです。
それは、水素のように、目に見えないけど、
水素のように、世界中にあって。
水素のように、尽きることがない。
そんな、あなたの中にも、
わたしの中にもある無尽蔵なエネルギーを見つけて、
育てていく場をトヨタはつくりたい、と思いました。
ひとりひとりの希望が化学反応を起こして、
新しい未来を生み出してくれたら、最高です。
未来へ進むエネルギーを育てる。 H2OPE スタート

水素社会科見学 H2 SOCIAL STUDIES TRIPS Vol.1 岩谷産業株式会社 IWATANI CORPORATION artwork:Yoshifumi Takeda 「21世紀には水素が世の中を変える」 岩谷直治(1903-2005)水素社会科見学 H2 SOCIAL STUDIES TRIPS Vol.1 岩谷産業株式会社 IWATANI CORPORATION artwork:Yoshifumi Takeda 「21世紀には水素が世の中を変える」 岩谷直治(1903-2005)

photo : Kiyoshi Nishioka /
text : Noriaki Onoe /
edit : Keita Fukasawa

近年、世界中で注目されるようになり、多くのプロジェクトが動き始めている未来のエネルギー、水素。その裏側には、さまざまな人々の未来にかける努力や夢が隠れていました。ここでは、水素社会実現に挑み続けてきた、会社の想いを紹介していきます。第1回は、岩谷産業株式会社です。近年、世界中で注目されるようになり、多くのプロジェクトが動き始めている未来のエネルギー、水素。その裏側には、さまざまな人々の未来にかける努力や夢が隠れていました。ここでは、水素社会実現に挑み続けてきた、会社の想いを紹介していきます。第1回は、岩谷産業株式会社です。

NAOJI IWATANINAOJI IWATANI

岩谷産業の創業者、岩谷直治。家庭用プロパンガスを全国に普及させ、「プロパンガスの父」と呼ばれる。カセットこんろも日本初の市販化をした。

世の中に必要なものこそ栄える

 家の戸棚を開けて、鍋の季節に活躍するカセットボンベを探してほしい。そこにはきっと、オレンジと白の字で大きくIwatani CASSETTE GASと書いてあるはず。
 カセットボンベと水素。一見、遠そうなふたつをつなぐのは、岩谷産業の創業者である岩谷直治さんの「世の中に必要な人間となれ、世の中に必要なものこそ栄える」という想いだった。
 岩谷産業株式会社は、酸素・溶接材料・カーバイドを扱う商店「岩谷直治商店」に端を発する創業85年のガス会社だ。日本中の主婦をカマドのすすから解放する「台所革命」を起こした、LPガスを中心とする総合エネルギー事業。そして、水素などを扱う産業ガス事業を主に行っている。一般的に知られているのは総合エネルギー事業だが、日本の水素市場の約60%を占めるトップサプライヤー、日本初の商用水素ステーションのオープン、国内最大の液化水素製造プラントを建設、水素の研究を核とした中央研究所の設立と、実は日本の水素を語る上では外せない存在でもある。

水素、初のエネルギー活用は宇宙へ向かうロケット

 大阪の本社にて、同社の専務取締役で、水素事業の責任者である廣田博清さんにお話を伺った。
 「1941年から、創業者である岩谷直治は水素に着目していました。苛性ソーダを作る過程でふつうは捨てられる水素ガスをもらいに、尼崎の工場まで行っていたのです」
 それから17年後。LPガス事業の安定と時を同じくして、大阪ソーダの工場の一角を借り、岩谷は本格的に水素事業に乗り出す。58年、東京タワーが完成した年。高度経済成長期の入り口。
 「地球上に無尽蔵に存在するのだから、エネルギーとして活用すればクリーンなのではという直感があったようですね。水素の時代が来る、と」
 まだ、エコという概念のなかった時代のことだ。市場が拡大していった先は、エネルギーとしての用途よりも、工業での用途が主だった。例えば、ステンレスの表面の輝度を上げるための炉内ガスや、酸化を防ぎたい部材の還元用ガスなど。風向きが変わったのは、さらに14年後。

岩谷氏が目にしたH-1ロケット。ここから、宇宙開発事業団への本格的な液化水素の供給が始まった。(画像提供:JAXA)

 「液化水素の製造に成功したのが、転機でした。液化水素というのは、水素をマイナス253℃まで冷却することで液化させ、輸送に適した状態にしたものです。この液化水素が、宇宙開発事業団(現JAXA:宇宙航空研究開発機構)のロケット用のエネルギーとして採用されたのです。水素がエネルギーとして活用される最初の出来事でした」
 86年8月13日、液化水素を利用した初のH-1ロケット打ち上げ。このとき、岩谷直治さんは、どんな気持ちだったのだろうか。
 「ロケットが上がっていく姿を見て、目にいっぱい涙をためていたそうです。台所革命をしたLPガスと同じように、水素がエネルギーで産業革命を起こすことになる、と言っていたとか」
 水素をエネルギーとして活用しよう。そう岩谷さんが考えてから、45年後のことだった。

HYDRO EDGE 国内初の液化水素製造プラント「ハイドロエッジ」HYDRO EDGE 国内初の液化水素製造プラント「ハイドロエッジ」

 液化水素の製造成功により、実現に向けて動きだした岩谷さんの夢。今では、岩谷産業は巨大な液化水素製造拠点を、国内に3カ所も持っている。2006年に国内で初めて設立された液化水素製造プラント「ハイドロエッジ」(大阪府)、09年に稼働した「岩谷瓦斯千葉工場」(千葉県)、13年に稼働した「山口リキッドハイドロジェン」(山口県)だ。大阪・千葉・山口の3拠点による液化水素製造能力は、計1万2000ℓ/h、年間約8000万㎥。初めて岩谷さんが作った水素液化装置は10ℓ/hだから、なんと1000倍以上の製造力にまで成長している。
 岩谷さんの夢の続きを見るために、大阪は堺の海に突き出た工業地帯に位置する「ハイドロエッジ」へと伺った。

最近は、海外から見学に来る人も

 なぜ、あえてこの場所にプラントを作ったのか、工場長である保井義典さんに聞いてみた。
 「この場所でないと、実現できませんでした。隣に見える堺LNGさんからの液化天然ガスの供給によって液化水素を製造しているんですが、このLNGを水素の原料にしつつ、液化水素にするための冷熱の供給源としても利用する方式は、日本初ですね」
 天然ガスは、マイナス162℃で液化されて海外から運ばれてくる。しかし、それを発電に利用するためには、一度気体に戻す必要がある。その際、普通は海水をかけて温度を上げて気化させるのだが、ハイドロエッジでは、窒素ガスをかけることで気化させる。
 「水素を常温から電気で冷やすと、莫大なエネルギーが必要になってしまいます。なので、LNGを気体にする際に窒素との熱交換によって安価に液化窒素を作り、その液化窒素で水素を冷却することで、省エネになるんです」
 尼崎の工場の一角を借りて水素をもらっていたという岩谷さんのエピソードが頭をよぎる。さまざまなタンクや装置が並んでいるプラントを案内してもらっていると、巨大な液化水素トレーラーが現れた。水素充填に約3〜5時間かかるらしい。

ハイドロエッジの工場長、保井義典さん。「ここには、ドイツやオーストラリアなど国内外問わず、年間数百名が見学にやって来ます」

大型の40フィートコンテナは、内容量4万ℓ以上もの大量供給を可能としている。(一般的なローリーの10倍以上)

 「液化水素のメリットのひとつは、輸送効率の良さです。運べる量は、なんと圧縮水素ガスのトレーラーの約12倍。そうなると、12回分が1回で済むわけですから、輸送コストはもちろん、トレーラーから出るCO2も削減できますよね。もうひとつのメリットは、品質。液化されることで不純物が凍り、純度の高い水素が利用できるんです」
 聞いている限りでは、すべての水素が液化水素に変わってもいいように思えるけど、そういうわけではないと保井さんは言う。
 「液化水素のプラントを作るのは技術的ハードルが高いのと、少量だとコストがかかるので、よっぽど大規模な用途がない限りは、ガスのまま利用する方が良いこともあります。ただ、徐々に液化水素に置き換わってきているのは事実です」
 稼働してから約10年。このプラントで働いていて思うことを聞いてみた。
 「最近は、見学も増えてきて、海外から来る人もいます。みなさん、液化水素の設備を見にきています。日本で液化水素をやっているのは、うちだけですから。同時に、何かあったら、日本全体の水素社会の未来に影響を与えかねない。責任を感じますね」

マイナス253°Cの液化水素の充填中。
冷気で地面に霜がおりていた。

水素を生み出す改質器。高温下で天然ガスと水蒸気を反応させることで、水素を取り出している。

CENTRAL INSTITUTE 日本初の水素ステーション そして、水素の研究所をオープンCENTRAL INSTITUTE 日本初の水素ステーション そして、水素の研究所をオープン

 ハイドロエッジが稼働する7年前、トヨタはFCV(燃料電池自動車)を発表。とはいえ、その頃は1台数億円もする自動車であり、一般化はまだ遠い未来に思えた。にわとりが先か、卵が先か。車がないから、水素ステーションを作ってもしょうがない。水素ステーションがないから、車を作ってもしょうがない。という状態が、トヨタのMIRAIの一般発売をきっかけに動き始めた。
 2014年7月、岩谷産業は、日本初の水素ステーションを兵庫の尼崎にオープン。ハイドロエッジで製造された液化水素が運び込まれている。その後ろには、最先端の水素研究開発拠点の岩谷産業中央研究所が併設されている。ここ数年で、夢の実現に一気に近づいた。「水素ステーションは、まだ生まれたて。運用しながら改善点を洗い出してより良くしていき、全国へ展開したいと思っています。研究所が併設されているので、全国のトラブルシューティングも行えるような場所にもなっています」
 と、語るのは中央研究所の部長であり、工学博士でもある小池国彦さん。中央研究所は、水素のクリーンさを象徴するような美しい建物だ。裏側には大きな水素タンクが置かれており、建物の中へ水素を送り出している。岩谷産業の80周年の節目に社員から上がってきた、水素のための総合的な研究所が欲しいという声に応えて設立された。

水素のことなら、岩谷に聞けと言われたい

 「中央研究所が取り組んでいる課題は、水素エネルギー社会のインフラを構築するための安全性検証や、安く水素を作って運んで貯めるための研究です。さらに無駄をなくして、本当のCO2フリーを目指していきたい。でもそれは岩谷だけでは実現できませんから、産官学いろいろ巻き込んでやらないといけない」
 そこにきて、研究所の設立は、技術協力の橋渡しとしての価値も持ち始めているようだ。
 「研究所という場所が出来たことで、各方面での連携が増えました。施設を見てもらった上で、岩谷産業とやれることがありそうだな、と思ってもらえれば。オープン・イノベーションの拠点として、水素の可能性を感じてやってくるところへの協力は惜しみません」
 ちょうど見学に行った際にも、とある大学が中央研究所内の設備を利用していた。
 「年間5000人から6000人ほどが見学に来ています。国内外問わず協力していけたら」
 最後に、研究者としての想いを聞いてみた。
 「水素を扱ってみると、まだまだ知らなかったことがたくさん出てきます。教科書に書いてないようなことばかり。なので、将来的には実用に近い教科書を作っていきたいです。そして、安心して水素を使えるような技術ノウハウを開発していきたい。水素のことなら、岩谷に聞け。と言われるようになりたいですね」

超高圧・極低温から特殊材料ガスまで幅広く扱える実験設備では、日々水素の可能性を探る研究がなされている。

中央研究所の部長、小池国彦さん。「水素は、知るほどに未知が増えます」

買い物のついでに、水素を充填する時代が来る

 エネルギーに革命を起こすには、地道な改善こそが近道なのだと感じさせられた。岩谷さんの夢は実直なかたちで、実を結び始めている。では、この先はどうなるのか。これからの岩谷産業の展望と夢を、ふたたび水素事業の責任者である廣田さんに聞いてみた。
 「2025年には、日本中に1000カ所ほどの水素ステーションが開設される予定です。それに先立って、16年2月にはセブン-イレブンさんと提携してコンビニ併設型の水素ステーションを東京の池上にオープンします」
 買い物のついでに、水素を充填する。水素が一気に身近なものになりそうだ。今年の4月には、東京タワー近辺に都心初の水素ステーション「イワタニ水素ステーション芝公園」をオープン。さらには、関西国際空港の真ん中に水素ステーションをオープン(16年予定)と、岩谷産業の勢いは止まらない。

水素事業の責任者である廣田博清さん。「2015年の水素元年は、岩谷の夢が実現した年でもあります」

コンビニ併設型の水素ステーションの予想図。未来のコンビニでは当たり前になるかもしれない。

 「夢が叶い始めていますが、パイオニアとしての緊張感もありますね。努力をし続けないといけない。後に続く企業も現れています」
 しかし、ライバルを蹴落とそう、などとは考えない。
 「一企業としての利潤の追求は大事だけれど、社会の公器としての役割も大事。25年くらいには、マーケットが拡大した中で、25%くらいのシェアを保持できたらと思います。小さいところの100%よりも、大きいところの25%になりたいですね。技術を囲い込んでいても、しょうがない」
 入社当初はガスの担当営業から始まり、水素ガスが出荷され、利用される様子を現場で見守り続けてきた廣田さん。岩谷直治さんからかけられた、忘れられない言葉があるという。
 「この会社は、これからもっと良くなります。やめなはんなや。と、会うたびに言われました。やめるなんて思ってませんでしたけど(笑)」
 まるで未来を予言していたかのような発言だ。岩谷さんがまだ生きていたら、今の日本を、そして世界を見てどう感じるのだろうか。
 「いつも想像しますね。目を細めて喜んでいるんじゃないでしょうか」
 「世の中に必要な人間となれ、世の中に必要なものこそ栄える」水素がみんなの暮らしに必要とされる未来を夢見て、不可能を可能にしてきた岩谷産業。未来はもう、目の前にやってきている。

岩谷産業株式会社

1930年創業。LPガス、カセットこんろを中心としたエネルギー事業と、水素などの創業以来の産業ガス事業を基幹として、それらから派生した機械、溶材、電子機器、マテリアル、食品など幅広い分野で事業展開を図っている。

ハイドロエッジ
2006年4月より運転開始した、大阪府堺市に位置する水素プラント。岩谷産業と関西電力による出資会社ハイドロエッジにより運営されている。LNGの冷熱を利用し、空気から酸素・窒素・アルゴンの産業用ガスを分離・製造。そこで生産される液化窒素の冷熱を利用し、天然ガスを原料に液化水素を製造する日本初のプロセスを採用している。

中央研究所
2013年4月に兵庫県尼崎市に開設された岩谷産業の研究開発拠点。これまで岩谷が蓄積してきたガステクノロジーをベースに、世界トップレベルの各種分析機器や多彩な試験環境を整備。「開かれた研究所」として、多岐にわたる企業・団体とコラボレーションを行っている。日本初の商用水素ステーション「イワタニ水素ステーション尼崎」を併設。

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