REPORT

  • MTB
  • MOUNTAINEERING

MOUNTAINEERING

Presented by Number

元プロノルディックスキーヤー OGIWARA TSUGIHARU 日本百名山へ挑み続ける 荻原次晴

まだ見ぬ景色を求めて。

ノルディックスキー複合の選手として長野五輪に出場した荻原次晴。
母国開催のオリンピックでジャンプ台に上ったとき、
目の前に広がっていた景色とは。

ノルディックスキー複合で、選手として数々の大会に出場。今は解説者・スポーツキャスターとして活躍する荻原次晴には、決して忘れることのできない景色がある。
「スキーのジャンプ台ってすごく下まで見渡せるんです。長野五輪のジャンプ台は、それまでに出場したどんな大会とも違う世界が広がっていました。会場は人で埋め尽くされ、外の畑まで入りきれなかった応援の人たちで溢れていました。たくさんの日の丸の旗がはためいていたのを今でも覚えています」
初めて経験する五輪が、母国で開催された長野五輪だった。
「この景色を見たときにオリンピック選手になれてよかったなと思いましたね。トップスキーヤーの中でも出場できるのはほんのひと握りの選手だけですから。これまでがんばってきてよかったなと」

長野五輪を最後に現役を引退した荻原は、スポーツキャスターとして新たな道を歩き始める。それと同時に始めたのが山登りだ。
「群馬県で育ったんですけど、親父が山に登るのが好きで、子どもの頃から健司も一緒に上信越のあちこちの山に連れて行かれました。だから、いつかは山登りをしてみたいと、思っていたんです」
2011年からは、山登りの楽しさをより多くの人に広めるために、次晴登山部を創設。日本百名山制覇を目指し、これまでに27座を登頂している。「山登りにはいろいろな楽しみがある」と荻原は言う。
「登山部・部長として和気藹々と大勢で山頂を目指す登山もあれば、雪が降り積もった山にスキーを履いて入り、道なき道を行く。自分が歩いたところが道になる冬山の登山も魅力です。この間登った奥穂高岳は途中にかなり危険な箇所があるんです、そういう緊張感のある登山も好きですね」

ときに命を危険にさらすこともある登山。そのため荻原は、道具にとことんこだわる。
「トップアスリートが道具を選ぶときに、なんとなくこんな感じかなで決める人は誰もいないんです。必ずいろいろと試してから、これというものを決める。そこに一切の妥協はありません。ある意味自分の体の一部になって、パフォーマンスを引き出してくれるものでないと使い物にならないんです」
それはクルマを選ぶときも同じだ。
「クルマとスポーツの道具って似ているところがあって、性能が高いクルマは行動を広げてくれる。このランドクルーザー プラドなんて、まさにそういうクルマですよね。世界中の悪路を走っている陸の王者だけあって、岩がごつごつしているような道でも、すごく安定してました。これだけのポテンシャルを持っている車を街中で走らせているだけで終わるのはもったいない。今日久しぶりにオフロードを通りましたけど、もっとガンガン走ってみたくなりました」

ランドクルーザーが「陸の王者」と呼ばれるのは、機能性に加え、過酷な状況下からでも戻ってこられる耐久性の高さからだ。
「エベレストに初めて登頂したエドモンド・ヒラリーさんは『山頂に行くかどうかは自由だけど、下山するときに選択の余地はない』という言葉を残しています。登山は山頂に立つことではなく生きて帰ることが、第一の目標です。どんな危険な状況にあっても必ず帰ってくることができるランドクルーザー プラドは最高の道具と言えますね」
選手として最高の景色を目にした荻原。次に目指す最高の景色とは、どんなものなのだろうか。
「世界どころか日本でもまだ訪れていないところがたくさんあるので、まずは百名山を制覇して、その先にチャンスがあれば8000m峰にも挑んでみたい。エベレストの山頂から360度を見渡したらどんな光景が広がるのか考えただけでワクワクしますね」

福田剛=文 白澤正=写真