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Photo Journalist 山田 周生 Photo
Photo Journalist 山田 周生 SHUSEI YAMADA

ダカールラリーやアドベンチャーレース、アメリカズカップなど、大自然を舞台に行われるレースや人々の姿を撮り続けるフォトジャーナリストの山田周生氏。訪れた国はすでに100カ国を超え、総走行距離は延べ200万km以上。地球50周以上もの距離をバイクやクルマで旅し、自然を体感してきた山田氏は、次世代のモビリティのありかたを模索するため、世界で最も小型のバイオディーゼル燃料精製装置を自作し、ランドクルーザー100の荷室に搭載して地球一周の旅に出た。山田氏はなぜランドクルーザー100を選んだのか。

本当に自分がしたいことをする
大学時代、ふと自分はこれからどうなるんだろう、何がしたいんだろうと、自分に問いかけることは誰にでもあるのではないだろうか。ただそう思いながらも日が暮れ、また日が昇り、昨日と変わらぬ生活をするのが常。
「逆に自分が明日死ぬとしたら、悔いが残ることは何だろう。そう考えたら、好きなだけバイクで走りたいと明確な答えが出たんです。それでバイクに乗って旅に出ました」
アフリカ・サハラ砂漠を縦断し、その後も約2年近くバイクで世界を旅した。旅の道すがら写真を撮って、あるバイク雑誌に寄稿しているうちに、カメラマンとして写真を撮らないかと誘われるようになった。
「もともと油絵など画を描いていたので、そのモチーフを撮影するのにカメラを使っていました。写真スタジオで2年間アルバイトをしていたこともあり、ライティングなども自然に身につけていて」
だから山田氏の写真は、19世紀を代表する画家ミレーが描いた<落穂拾い>のような、風景を写実的に表現する自然主義派の絵画のようだ。
大自然の懐は、普遍的なはずだったが
世界中といっても山田氏の場合、アフリカやオーストラリア、南米、北米と悠々と大自然が広がる大陸を旅することが多い。またオーストラリアであればアボリジニ、北米であればアメリカン・インディアンといった先住民にも造詣が深い。大自然の奥地、懐へ飛び込み、さまざまな風景を撮影する。
「奥地へいけば行くほど、そこへ行くための移動手段も限られてきます。現地の村々では、今でもランドクルーザー40や60が現役で彼らの生活を支えているのをよく見ます。何十年も乗り続けられているのに驚きますね」
普遍的なもの。過酷な環境下に耐えうる性能を持った工業製品のひとつとして、ランドクルーザーは絶大なる信頼を得ている。
「逆に有史以来、当たり前のように青々としていた森や氷河が、年々変化していくことには驚きました。これにはさまざまな原因があるかと思うのですが、そうした変化を体験するうちに、自然と共に気持ちのいい暮らしをするにはどうしたらいいのか考えるようになりました。そのひとつとして自分の生活に必要なバイクやクルマの燃料を試すうちに、バイオディーゼル燃料に出会ったんです」
そしてバイオディーゼル燃料でどこまで走れるか、試す旅に出た。
ランドクルーザー100とともに
2006年春からバイオディーゼル燃料を使ったテストを開始。8月にはランドクルーザー100とともに日本を縦断、9月にはヨーロッパを縦断した。
「走ってみるとヨーロッパでは、思っていた以上にバイオディーゼル燃料が普及していて、ガソリンスタンドでB100(100%のバイオディーゼル燃料)を給油できるところが多かった」
さらに過酷なテストの舞台としてクロスカントリーラリーを選んだ。
「11月にはアラブ首長国連邦で開催されるワールドカップの1戦、UAEデザートチャレンジに参戦して完走。2007年1月のダカールラリーにも参戦し完走しました。ともにB20を燃料としトラブルなく走ったことは、バイオディーゼル燃料の可能性を大きく前進させました。それにしても2度の世界的クロスカントリーラリーにランドクルーザー100で参戦しましたが、本当に強いクルマだと実感しました」
信頼できる相棒とともに地球一周の旅へ
2007年12月。ランドクルーザー100とともに地球一周の旅に出た。
「廃食用油からバイオディーゼル燃料が作れるオリジナルの精製装置を考案して、一年かけて完成させました。それをクルマに積み、化石燃料に頼らず、現地にある廃食用油から作る100%のバイオディーゼル燃料のみで地球一周を目指す世界初のプロジェクトでした。日本から北米、アフリカ、ヨーロッパそしてユーラシア大陸を横断し、日本に戻る360日間、総走行距離47,853kmの旅でした」
山田氏は、今まで世界中を取材で飛び回っていたとき、いろんなSUVを乗ってきた。そのなか地球一周の旅の相棒として、ランドクルーザー100を選んだのはなぜか。
「砂漠やジャングルの奥地で活躍しているランドクルーザーをたくさん見てきたし、自分でランドクルーザー100に乗り、ダカールラリーも完走して、その走破性や耐久性の高さは実感していたのでこれしかないと思いました。また小型とはいえ重い精製装置を載せてもびくともしない強靭さも。唯一無二の存在ですね、ランドクルーザーは」
アメリカではフライドポテト、イギリスではフィシュ&チップス、ロシアではピロシキなどを揚げた植物油をいただいて精製する。主要都市では日本料理店があるので、天ぷらを揚げた油もいただいた。
「都市が隣接しているエリアはいいのですが、離れていると廃食用油をいついただけるかわからないので、携行缶を多く準備しました。ルーフにも載せるのでかなりの負荷がかかりましたが、ランドクルーザーはまったくトラブルなく走りきってくれました」
地球一周の旅でわかったこと、そして。
ランドクルーザー100はいっさいのトラブルもなく約一年かけて地球を無事一周した。日常のメンテナンスなどはどうだったのだろう。
「モロッコでは52℃、シベリアでは-30℃の気温のなかを走りましたが、定期的にオイルやオイルフィルター、フューエルフィルターの交換とエアフィルターの清掃をした程度です。ランドクルーザーのいいところは、世界中どこを走っていても、万一必要な部品があったらすぐ入手できるという安心感ですね。だから自分のチャレンジを実行に移せた。悪路が多かったから、さすがにパンクは一回しましたが」
それは帰国して日本中を走り、オドメーターが15万kmを越えても同じだ。
現在、山田氏は岩手県をベースに被災地支援活動をしている。
「地球一周を完走した後、日本一周の旅で東北地方を走っていたときに東日本大震災があって。軽油が入手困難なときでも、燃料は地元の商店街から出る廃油や炊き出しで出る廃食用油をいただいて燃料を精製して走れたし、ディーゼル発電機も搭載しているので電気も作ることができました。そうして緊急支援を日々続ける中、あの環境下でもランドクルーザーは、物資や人を運ぶのに心強かった。人の信頼に応え、人の役に立つクルマです、ランドクルーザーは」

記事:寺田 昌弘