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カローラの歴史
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〜時代と共に進化してきたクルマ、カローラ〜
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初代カローラ

 1966年、急成長する大衆車市場に対応するために、トヨタは1100cc 2ドアセダンのニューモデル、『花の冠』という意味の名前を持つ「カローラ」を新発売した。この新型車は「自動車をみんなのものに」というトヨタ創業以来の願いを込めて、トヨタの技術の粋を結集して作り上げたもので、当時の最高水準をいく性能と商品力を持つ画期的な「ハイコンパクトカー」だった。

 自家用車はまだ高嶺の花だった時代に43万2000円という当時としてはリーズナブルな価格と、スポーティで躍動感あふれるスタイルにコンパクトカーの最高性能を搭載したカローラは、発売と同時に爆発的な人気を集め、マイカー時代のけん引役として日本のモータリゼーションをリードすることとなった。カローラが登場した1966年は、後に「マイカー元年」と呼ばれることになった。

 その後も生産台数はどんどん伸びてゆき、発売後わずか2年5か月で生産台数50万台を達成し、大衆車市場を独走した。69年にはマイナーチェンジを迎え、同年初めて販売台数で年間トップを獲得。以来、33年に渡って1位の座を守り続けた。

コラム 目標月販3万台

 カローラ記者発表の会場で、当時のトヨタ自動車販売の神谷社長は『当面、月販3万台を目標とする』という発言で記者達を驚かせたという逸話がある。当時の開発責任者の長谷川龍雄チーフエンジニア(以下、CE)が月販1万台は責任を持つ、と社内に説明していた中でのこの発言は、長谷川CE当人をして、『なんというほら吹きだろう』と思わせるほどの異例の目標設定であった。しかし、発売後2年で見事に月販3万台を達成。神谷社長の強気な発言は決して「大ボラ」ではなかったことが実証され、いかにカローラが市場に受け入れられたかを示すこととなった。

コラム 80点主義+α(アルファ)の思想

 トヨタにはCE(チーフエンジニア)というポストがある。開発する車に関する最高決定権を持つトヨタのポストで、歴代カローラにもそれぞれ開発に情熱を注いできたCEの物語がある。

 初代カローラの開発担当であった長谷川龍雄CE(当時の呼称は主査)は、カローラの構想を練るに当たり、「80点主義+α(アルファ)」という思想を掲げた。すべての点において及第点=80点をクリアし、それ以上の90点をマークする部分もあり、さらに人々の心をとらえるキーポイント「プラスα(アルファ)」を打ち出そうというのだ。トヨタ広報資料『カローラ生産1000万台』のなかで、長谷川氏は次のように語っている。

 「プラスα(アルファ)はどういう内容だったかというと、スポーティ性というものを選んだわけです。具体的にいうと、強力なエンジンをはじめとして、フロアチェンジの4段トランスミッション、バケット型のセパレートシート、丸型メーター、曲面ガラスを使用したセミファストバックのスタイルなどです。とにかく、どれをとってもスポーティ性という魅力でまとまっているものにしたのです」

 誰が見ても一目で分かるスポーティなルックス、そして乗ってみればすぐさま体感できる優れた足まわりと反応の良さ。これらプラスα(アルファ)の魅力を携えたトヨタの新星カローラは、たちまちユーザーの熱狂的な支持を得ることとなった。



初代カローラのバリエーション

 発売当初は2ドアセダンのスタンダード/スペシャル/デラックスの3グレード構成だったが、市場の成長と共にカローラも積極的な車種構成の拡大に乗り出した。4ドアセダンやバン、ツインキャブ・エンジンのスポーティ・タイプなど、一気に24車種にまでバリエーションを広げ、シリーズとして充実化の一途をたどる。さらに来たるべき高速道路時代にそなえ、排気量もアップ。1100ccのK型エンジンから1200ccの3K型エンジンに拡大された。





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