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1974年、カローラは3代目へとモデルチェンジを行った。日本のモータリゼーションは驚異的なスピードで進展していたが、この時代は省エネや排出ガス浄化といった自動車業界全体に与えられた課題をクリアすることが求められた厳しい時代であった。更に、高度成長期を終えて多様化する国内市場に応えるクルマづくり、また国際商品としての品質向上もこの時の重要なテーマであった。
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そこで、「優れたトータルバランスと高品質なクルマ」を目指し、余裕と開放感のある快適な居住性、フィーリングや機能面でのさらなる充実、豊富なラインナップを実現し、「ぴったりサイズで大きなゆとり」という時代が求めた実用性に見事に応えてみせた。大衆車ながら上級車なみの安全性と快適性を確保したこのモデルは、型式がKEおよびTE30であることから「カローラ30(さんまる)」と親しまれた。
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世界のベストセラーになった3代目カローラ |
この3代目カローラは世界の自動車市場を席巻した。このモデルが発売された年に、世界の乗用車車名別生産台数でフォルクスワーゲンのビートルを抜き、カローラが第一位をはじめて奪取したためである。優れた総合性能、高品質と高い信頼感に支えられて、このカローラは生産台数375万台という空前の業績を残し、また発売した74年から輸出台数が年間30万台を超えた。日本が自動車先進国としての地位を確立した記念すべき出来事だったと言えるだろう。
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排出ガス規制・省エネにくわえ、“3代目の何たるか”をテーマに開発
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3代目カローラの開発担当CEを務めたのは佐々木紫郎(元副社長)。排出ガス問題、安全規制、省エネなど、課題が山積みする中での構想スタートだった。着手するに当たって佐々木氏は、徳川家の3代将軍・家光が成し遂げた業績を調べてみようと思い立ったという。
「ひとくちで言うと、家光は徳川300年の体制の基礎を固めたのですね。よし、それなら次のカローラもそういうものにしよう、と思ったのです」(トヨタ広報資料・『カローラ生産1000万台』より)
そこで、カローラのロイヤリティーを高めるために、第一に居住性や静粛性を含めて性能・機能面の向上が図られた。具体的には、アクセルやクラッチをより軽くしたり、集中スイッチを採用する、などによって操作性も格段にアップした。騒音対策は計器だけに頼らず、人の耳で繰り返しテストを行うことで数値よりも人間のフィーリングを重視した。次にスタイルを美しく、新しさを打ち出すために、ボディ幅を広げるとともに室内をグレードアップした。
何よりも大事な排出ガス対策では、エンジン部門を中心に全社を上げて文字通り不眠不休の努力が続けられた。その甲斐あって75年10月にはカローラ1600を75年度排出ガス規制適合車として発売し、以降低公害エンジンへの切り替えが進んで行った。
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3代目カローラのバリエーション
ユーザーのカーライフが拡大し、車に求めるスタイルも多様化の兆しを見せていたことに対応し、カローラは2ドア/4ドアセダンをはじめとして、クーペ、ハードトップ、さらにリフトバックを加えて4つのボディタイプを展開した。この結果バリエーションはカローラ史上最多の乗用車122車型、商用車18車型を数えるに至った。
中でも特徴的なのは新設のハードトップボディで、大衆車クラスでは初めてセンターピラーのない本格的なハードトップスタイルをそなえていた。
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